新しい時代への胎動 明治維新をもたらした歴史物語

1571年この年長崎へ南蛮船が初入港して以来、長崎は世界の長崎へと発展していきます。
それまでに知り得なかった海外の文化や情報を吸収し、日本でも珍しい独自の長崎文化が形成されていったのです。誰もが「見る事や聞く事」が、初めての事ばかりであり戸惑った事でしょう。しかし、時間をかけて乗り越えていったのです。私が、日本を代表する長崎の名所を詳しく御案内、御説明致します。

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コース内容

大浦天主堂
日本最古の木造教会

元治元年(1865年)フランス人神父フューレ、プチジャンの両神父の努力により在日、フランス人のための教会として献堂式が挙行されました。本来、この大浦天主堂は日本で二番目に建造されたものですが、日本初の横浜天主堂が、大正12年9月1日の関東大震災で消失したため、日本最古の天主堂となった次第です。浦上潜伏キリシタンが、プチジャン神父に名乗り出て、約250年ぶりに日本カトリックの復活が実現したのもこの大浦天主堂での出来事でした。正面に設置してあるマリア像は、信徒発見の記念であり、慶応元年3月17日と記してあります。

グラバー園
居留地時代の風情

長崎の数ある名所の中でも、是非行っていただきたいお勧めは長崎市内が見渡せる絶景な丘にある、トーマス・グラバーさんが住んでいたグラバー邸です。イギリスの貿易商人であり、人を殺す道具(鉄砲など)を運んで来たため「死の商人」とか「禿鷹の様な商人」などと呼ばれましたが、その後の日本のためにはなくてはならぬ偉大な人だったのです。三菱造船所、高島炭鉱、私設電話、キリンビール、トロール漁業、日本青年(伊藤博文など)の英国留学援助など全て日本初の事柄で、このグラバーさんが教えてくれたのです。グラバー園には、グラバー邸をはじめとして、ゆっくり歩いて一時間かかるほど、いろいろな建物や植物が咲き誇る庭園があります。勿論、グラバーさんと親交があった坂本竜馬コーナーもありますよ。

オランダ坂
異国情緒漂う居留地跡の坂

長崎の居留地にある坂道は、どこもみなオランダ坂と呼ばれております。昔より長崎は、出島貿易の関係上、オランダ人との付き合いが長く、オランダ人のイメージがものすごく強かったのです。開国の後、イギリス・フランス・アメリカ・ロシア・プロシアなどと世界各国から外人さんが来る様になり、外見を見た時“紅毛碧眼”であるため、誰がどこの国の人か区別出来なかったそうです。その時、長崎の人は面倒くさくなり外人さんを見たら「あん人達やあ、オランダさんに間違いなかばい」と言い、外人さんが通る坂道をオランダ坂と呼ぶようになりました。

孔子廟
中国歴史博物館

孔子廟は明治26年長崎華僑の募金と清国政府の後援で創設され、世界四聖人の一人孔子を祀っております。日本には5ヶ所孔子廟がありますが、その中でも長崎の孔子廟だけが中国の人により造られたものです。しかし原爆により破損し、1967年、1983年と資材や石像を、香港・台湾・中国から購入して改装したのが現在の孔子廟です。中に入ると、中国風な雰囲気があります。

出島商館跡
鎖国時代唯一世界に開かれた

長崎の出島は、キリスト教の布教を阻止するために、徳川幕府の命令により扇形に造成された人工島で日本唯一「世界に開かれた窓口」だったのです。この島に上陸した外人さんは、許可無く二度と島外に出られなかったので「海の牢屋」とか「体裁の良い牢屋」と呼んでいたそうです。出島に来る外人さんは、単身赴任が原則であり外人さんと日本遊女のロマンスが残っております。一番有名な話が「シーボルトと日本人妻お滝さん」です。他に「遠山の金さんのお父さん」や「清水次郎長」のエピソードも紹介します。

思案橋
往来者が行こか戻ろか思案した橋

その昔、長崎の地に丸山という名の遊郭が有り、そこに遊びに行くには相当なお金が必要であった。そこで橋の所で行こうか戻ろうかと思案したそうである。それが思案橋の名の始まりである。坂本龍馬、他、海援隊のメンバーも訪れている。

崇福寺
西日本随一の文化財を誇る唐寺

長崎には国宝が三つ有り、この崇福寺にはその内の二つ(太雄宝殿・第一峰門)が有り、もう一つが大浦天主堂です。崇福寺は寛永6年(1629年)長崎在留の福建省福州府地方の人達が寺建立の公許を得て、唐僧逸然を開基として出来た禅寺です。もともと、航海安全を守る媽祖様(女神)を祀るためにつくられたお寺です。

風頭公園 長崎を見渡す坂本龍馬像
風頭公園(坂本龍馬像)

園内には全国の有志からの募金によって建立された坂本龍馬之像や、地域の歴史を生かしたまちづくりに取り組む「亀山社中ば活かす会」の皆さんが、作家・司馬遼太郎の長崎における足跡の確認と文学顕彰を目的に建立した『竜馬がゆく』文学碑もあり、素晴らしい風景と共に龍馬の世界に触れることができる。

亀山社中跡
坂本龍馬が設立した貿易商社

亀山社中とは慶応元年(1865)、薩摩藩などの援助によって土佐の浪人・坂本龍馬が設立した貿易商社。長崎・伊良林の亀山という場所に同志と組織した日本初の商社のことだ。顔ぶれは長岡健吉、近藤長次郎、陸奥陽之助、沢村惣之丞など龍馬と共に幕末の激動期を生きた志士達。

興福寺
日本最古の黄檗禅宗の唐寺

元和9年(1623年)中国の南京地方の船主達の寄付によって建てられたもので「南京寺」ともいい、日本初の黄檗宗の唐寺で長崎の三福寺の一つです。舶来唐人は、キリシタンで無いという事と先祖の菩提を供養するという理由で海上安全を祈って媽祖堂を建て天妃を祀ったのです。隠元禅師が持参した豆(隠元豆)を栽培したのはここです。

眼鏡橋
日本最古のアーチ式石橋

17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。

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