キリシタンの里 トモギ村(外海地方)の巡礼の地を訪ねる
1638年3月25日、セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門)他二名の若い司祭が、サンタ・イザベル号で東洋への布教と、恩師クリストバン・ フェレイラ(沢野忠庵)の消息を知る為に日本へ潜伏した。その時代の日本は、禁教令が出ており、大変な試練が待っていた。遠藤周作先生の「沈黙」の舞台がここトモギ村(外海地区)であり「人間としての愛ゆえにパードレー(司祭)達は棄教をしてしまう。セバスチャン・ ロドリゴは棄教した後「転びのポウロ」と呼ばれ、キリシタン目明しとなる。今日の日本のキリスト教は、この試練の上に成立したのである。明治になり、信仰の自由が認められた後、外海地区の主任司祭として貧しい農民の為に活躍した人が、マルコ・マリ・ドロ神父である。「参ろうや、参ろうや、パライソの寺に参ろうや パライソの寺とは申すれど 遠い寺とは申すれど」モキチが唄った。
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枯松神社
サン・ジワン神父を祀ってある
日本人伝道師・バスチャンの師であるサン・ジワン神父を祀ってある、日本に三カ所しかないといわれるキリシタン神社。周囲はキリシタン墓地になっている。ここは江戸時代、黒崎地方の隠れ(潜伏)キリシタンが密かに集まりオラショ(祈り)を捧げ伝習してきた聖地。祠の手前にある“祈りの岩”と名付けられた大きな岩があるが、迫害時代にキリシタンたちは悲しみ節の夜にここに来て、寒さに耐えこの岩影でオラショを唱えていたと伝えられている。
黒崎教会
黒崎の地に建つ教会
明治30年(1897)にド・ロ神父の指導で敷地が造成され、同32年(1899)から建設計画が進行、大正9年(1920)に完成した、遠藤周作の小説『沈黙』の舞台ともなった黒崎の地に建つ教会。
遠藤周作文学館
代表作『沈黙』の舞台に
平成12年(2000)5月13日開館。外海地区が遠藤周作氏の代表作『沈黙』の舞台になったこと、また、遠藤氏自身がキリシタンの里である外海地区の景観を気に入っていたことから、夫人の協力のもと設立された。作家・遠藤周作氏の生涯と足跡、遠藤文学に関わる蔵書約8千点を含む遺品約3万点を収蔵している。
出津教会
県指定有形文化財
明治15年(1882)、ド・ロ神父の設計施工で建てられた教会(県指定有形文化財)。その後、明治24年(1891)に一部改造、同42年には玄関部を増築し、現在の教会の形が整えられた。この玄関部に、祭壇の屋根にある既存の装飾等のほかに鐘塔を設けるという珍しい外観。外壁は煉瓦造り、玄関は石作り、内部は木造で、三廊式の漆喰塗り平天井となっている。
長崎外海歴史民族資料館
昭和54年7月に開館
資料の収集、保存、調査研究を行い、あわせて一般に公開し、文化財についての知識と理解を深めることを目的として昭和54年7月に開館した。出津文化村の施設の一つとして、外海地区の歴史、民俗、文化を広く展示公開している。
ド・ロ神父記念館
すばらしい業績を顕彰するために
明治12年(1879)外海地方の主任司祭として赴任してきたフランス人宣教師マルコ・マリ・ド・ロ神父は、深い人類愛の精神とすばらしいフロンティア精神をもって、外海の人々の魂と肉体の救いのため生涯を捧げた。ド・ロ神父記念館は、神父の遺徳をしのび、すばらしい業績を顕彰するために設けられたもの。
沈黙の碑
遠藤周作
出津文化村の入り口からすぐの場所にあるのが、外海を舞台に描かれた小説『沈黙』で知られ、外海地区東出津町に文学館を構える作家・遠藤周作の沈黙の碑。『人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです』と刻まれている。この碑の後方には、青い海と遠藤周作文学館を望むことができる。
ド・ロ神父墓碑
石版印刷の技術を伝えるために
1840年、フランスのノルマンディのバイユ郡ヴォスロールの貴族の家庭に生まれた宣教師ド・ロ神父は宣教師としてだけではなく、石版印刷の技術を伝えるために慶応4年(1868)、28歳のときに来日。大正14年(1914)に74歳で亡くなるまでの46年間を日本で過ごし、長崎の大浦天主堂に石版印刷所を設け、印刷事業に携わったりもしたが、そのうちの大半、33年間を外海の人々のために捧げた。