1638年3月25日、セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門)他二名の若い司祭が、サンタ・イザベル号で東洋への布教と、恩師クリストバン・ フェレイラ(沢野忠庵)の消息を知る為に日本へ潜伏した。その時代の日本は、禁教令が出ており、大変な試練が待っていた。遠藤周作先生の「沈黙」の舞台がここトモギ村(外海地区)であり「人間としての愛ゆえにパードレー(司祭)達は棄教をしてしまう。セバスチャン・ ロドリゴは棄教した後「転びのポウロ」と呼ばれ、キリシタン目明しとなる。今日の日本のキリスト教は、この試練の上に成立したのである。明治になり、信仰の自由が認められた後、外海地区の主任司祭として貧しい農民の為に活躍した人が、マルコ・マリ・ドロ神父である。「参ろうや、参ろうや、パライソの寺に参ろうや パライソの寺とは申すれど 遠い寺とは申すれど」モキチが唄った。