3時間 平和への道コース

辿る平和への道しるべ

辿る平和への道しるべ

長崎市は世界で二番目に原爆が投下された所であり、大勢の人達が死傷致しました。
現在、今なお、沢山の人達が原爆の後遺症の為に苦しんでおられます。私事になりますが、私の長女も原因は全く分かりませんが、白血病が原因で十数年前、十六才の若さで亡くなりました。今、日本は平和な国です。しかしながら、この平和はこの方々の犠牲の上に間違いなくあると思います。私は被爆二世として、今のこの平和を私達の子孫に残してあげる為に微力ではありますが、私の「平和への道」の観光コースを通じて、全世界の人達へ、お伝えしていきたいと思っております。二度と核兵器を使用してはいけません。

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コースをご利用のお客様

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【愛知県O様 平和への道コース】

【北海道Y様 平和への道コース】

【滋賀県M様 平和への道コース】

原爆資料館

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地球上の平和の為に

この資料館には、第二次世界大戦にまつわる歴史的な真実の被爆写真集や遺品等が展示してあります。猛烈な爆風、強烈な熱線、そして恐ろしい後遺症を残す放射線(黒い雨)。生身の人間が耐えられるはずがありません。今でも被爆にあわれた人々が、闘病生活をされており、一生懸命地球上の平和の為に活動されております。この様な悲惨な戦争を二度と繰り返してはなりません。

平和公園

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平和を願う祈りの空間

平和公園の場所は、元、浦上刑務所であり、監守や服役の人達134名がおられましたが、原爆により全員亡くなられました。その後、公園内に島原の彫刻家北村西望先生が、国内、外からの浄財をもとに平和記念像を建設しました。毎年、8月9日の原爆記念日には、世界各国から人々が集まり、平和記念式典が行われています。それは、原爆犠牲者慰霊と世界恒久平和を祈願するためです。そして、私も全ての人達が平和で幸せに暮らす事が出来ますように案内人(語り部)の一人として努力してまいります。

如己堂

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永井隆博士の精神を宿す記念館

この場所は、元、浦上地区の帳方(キリシタンのリーダーの事)の屋敷後で秘密教会でもありました。「長崎の鐘」で有名な島根県出身の永井隆先生はここで帳方の子孫みどりさんと知り合い結婚しました。8月9日の原爆により、みどりさんはここで亡くなり、同じ場所に「如己堂」と呼んだ新居が建ち、先生と二人の子供さん(誠一兄さん、カヤノ妹さん)は、この家で生活を始めました。如己堂とは「己の如く隣人を愛せよ」という意味です。しかし、先生も医学部で被爆にあっており、子供達、戦災孤児の為に献身的な活動をしましたが、昭和26年5月1日、43歳で永眠されました。「白バラの花より香りたつごとく、この身はなれて昇りゆくらん」永井先生の辞世の句です。

浦上天主堂

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平和を祈るかの様に

小高い丘の上にある浦上天主堂からは、今もアンジェラスの鐘が聖母マリアに捧げられながら、永久の平和を祈るかの様に浦上地区に鳴り響いております。浦上地区では、明治元年(1868年)日本で最後の弾圧となった浦上四番崩れで信徒総数3,414名中、613名が殉教し、その後の原爆では約8,500名の信者が被爆死されました。この浦上天主堂は、こういう苦難の歴史がある天主堂なのです。これから先も、平和を語り継ぐためにも浦上天主堂の「長崎の平和の鐘」を鳴らし続けて欲しいと思います。

片足鳥居

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原爆の脅威を伝える鳥居

山王神社の第二の鳥居で、原爆にあい真二つに折れたものです。階段を上がると、左側半分がそのまま残骸として残っており、爆風の強烈さというものが実感でき、原爆の脅威を物語る遺構として重要な役割を果たしております。

日本二十六聖人殉教地

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キリシタンが処刑された場所

豊臣秀吉の命により、1957年2月5日水曜日、日本で最初に26名のキリシタンが処刑された場所です。京都から長崎までの850kmを29日間歩いて連行され、この丘で磔の刑により処刑されたのです。最年少が12歳のルドビコ茨木で、この子供が残した最後の言葉が「つかの間の命より、永遠の命を選びます。お武家様もキリシタンにおなりなさい。共にパライソ(天国)に参りましょう」と言い笑顔で殉教したそうです。南山手にある国宝大浦天主堂は、この二十六聖人への祈りを捧げるために建てられた天主堂で、今でも多くの人達が国内、外から訪れられています。

鎮西大社 諏訪神社

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「長崎くんち」の大舞台

長崎市民から“お諏訪さん”と親しまれる長崎鎮守の神社は、秋の神事「長崎くんち」の大舞台だ。弘治の頃(1555~57)、信濃の諏訪社から御霊分けされ、当初現在の寺町にある長照寺付近に祀ってあったといわれている(その名残としてこの辺りは現在も諏訪町という)。

眼鏡橋

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日本最古のアーチ式石橋

17世紀に興福寺の住職を務めた黙子如定によって架けられた日本最古のアーチ式石橋。石橋と水中に映る石橋が合わさって眼鏡のように見えることから眼鏡橋と呼ばれるようになった。