戦後の兵士を迎えた港
今や、ハウステンボスは世界的に有名な楽園となり、皆様が必ず一度は行ってみたい所です。
静かなる海、大村湾(琴の海)に位置し、四季折々の花(チューリップ等)が咲き、日本ではない様な雰囲気が漂い楽しめます。しかし、このハウステンボスの前身は第二次世界大戦終戦後、海外へおられました日本の一般人、軍人の方々が引き揚げて来られた援護局の後地です。
敗戦国であるゆえに、この浦頭の地に足を踏みしめられた時「やっと戦争が終わった、やっと日本に帰って来られた」と涙を流す人が多かったそうです。この思い出深い場所を御案内致しますと共にバタヤンの「帰り船」(ここの事)を唄います。
コースをご利用のお客様
コース内容
西海橋(新西海橋)
実は世界第三位
佐世保市の針尾島と西彼杵半島を隔てた針尾瀬戸に架けられた長さ316m、幅7.5m、海面からの高さ43mの上格式固定アーチ型の橋。固定アーチ型では、アメリカのレインボー橋、ヘンリーハドソン橋に次ぎ世界第三位です。1955年(昭和30年)10月に完成し、我が国における有料橋の第一号です。全国から秀れた鷹職の人達を雇い、ケガ人が一人もでなかったそうです。
針尾無線塔
旧海軍が建てた送信塔
1923年(大正12年)旧海軍が建てた送信塔です。高さ137m、周囲33mの巨大な塔が三塔、正三角形状に建てられている。1941年(昭和16年)12月8日に、日米開戦暗号「新高山登れ1208」がこの無線塔から全連合艦隊に伝達され、六隻の空母の艦載機による真珠湾攻撃が開始された。
浦頭引揚記念平和公園
故郷に帰られる迄の所持品が展示
この浦頭引揚記念平和公園は、引揚された方々を含む、全国からの寄付金や佐世保市費をもって、元検疫所跡地を見おろす、この地に造られました。敷地内には、引揚者資料館があり、館内には浦頭に上陸されたその日から故郷に帰られる迄の写真集やその方々の所持品が展示してあります。
引揚第一歩の地
引揚者上陸地点
昭和20年8月15日太平洋戦争の終結に伴い、海外におられた日本人約629万人が日本に引揚げられ、その内、1,396,468名の人達が祖国の地、ここ浦頭に第一歩を踏み印されました。引揚者の多くは、食糧難による栄養失調や迫害のために疲労も極限に達し故国に帰る船内で、大勢の人が息絶えました。どれ程無念な事であったか今、日本は平和な国です。しかし、この平和は、これらの人々の犠牲の上にあります。私達は、この平和を後世に伝えなければなりません。
ハウステンボス
四季折々の花が一面
長崎県佐世保市にあるハウステンボスの名の由来は「森の家」と言うように低地の国、オランダの水と緑を表現しています。広い園内には四季折々の花が一面に咲き(チュウリップなど)沢山の珍しい西洋館が建ち並び散歩するだけで日本とは違う場所に迷い込んだような気分を味合う事ができます。でも、このハウステンボスの前身は第二次世界大戦終了時の後海外に出兵された日本人の人達が引き揚げて来られ援護局の後なのです。今では全く違う青い海に囲まれた緑の楽園ハウステンボスの日本版、オランダ村を満喫されて楽しい思い出を沢山作って下さい。