日本で初めて南蛮船が渡来した場所
美しい海や、眺望の良い山に囲まれた自然豊かな場所です。
平戸藩主松浦氏の大危機を救った江戸、品川、東海寺の住職、江月和尚のエピソードや平戸城のタヌキ櫓の名前の由結れなどを織り交ぜながら教会や寺、それからおいしい昼食のお店へと、御案内致します。
コースをご利用のお客様
こんな名所を観光案内するコースです!
田平教会
国の重要文化財に指定
平戸市にある田平教会は国の重要文化財に指定されています。所在地にちなんで「瀬戸山天主堂」とも呼ばれることもあり、平戸市田平町西部の開けた丘陵地の上に立つ赤煉瓦造りの教会からは平戸瀬戸とそこに架かる平戸大橋が望め、絵画や写真の題材としてもよく用いられています。2007年1月23日には「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして世界遺産暫定リストへの追加が決定しました。
日本最西端の駅
九州本島側の玄関口
平戸島への九州本島側の玄関口である田平町の中心街にある駅です。駅前には『日本最西端の駅』の碑が建っており、日本の最端駅を紹介する看板も立てられています。駅は有人駅ですが出入りは自由。昔の国鉄時代の面影を残す長いホームがかつての栄華を思い起こさせてくれます。
平戸大橋
平戸島と本土部に架かる吊り橋
平戸大橋は、平戸市の中心市街地がある平戸島と本土部を隔てる平戸瀬戸に架かる吊り橋で、鋼製の橋全体が鮮やかな朱色に塗られ、平戸島側の平戸大橋公園からは海と青空に映える橋の全体像が見渡せます。
最教寺
「西の高野山」とも称されています。
最教寺(さいきょうじ)は真言宗智山派の仏教寺院で「西の高野山」とも称されており、三重塔としては日本でも最大級のお寺です。日本に真言宗を伝えた弘法大師空海が唐から帰国して初めて護摩を焚いた場所という言われおり。赤子の泣き声で亡霊が退散しその後悩まされることがなくなったという言い伝えもあり、これを起源とする「子泣き相撲」が毎年2月3日の節分の日に行われています。
平戸城
別名亀岡城と呼ばれています。
別名亀岡城と呼ばれ平戸瀬戸に突出した平山城です。平戸古城の再築(日の岳城を1599年築城、1613年焼く)を 第29代天祥鎮信が図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時亀岡城として落成した。 山鹿流による築城は他には聞かれていません。 現在の城は1962年(昭和37)に復元(天守閣三層五階建)され、その後櫓も随時整備されました。天守閣からの眺めは素晴らしい。
オランダ橋
平戸島と本土部に架かる吊り橋
昔、城下町と城との往来は船で行われており、1669年(寛文9)に第29代鎮信が木橋を架け幸橋と呼ばれました。1702年(元禄15)第30代棟が石橋に改架し、この時オランダ商館の石造り建築に従事した石工、豊前からオランダ技法を伝授された石工によって架橋されたからだということから「オランダ橋」とも呼ばれるようになりました。巧みに巨石をたたみ半月弧を描かれた美しい橋です。
常燈の碑
この地は、「常橙の鼻」と呼ばれる
「常橙の鼻」と呼ばれるこの地は、オランダ商館跡の北東隅にあたる一角に石積みの高台があります。 1616年(元和2)商館大増築の時、防波堤もかねて築造されたものです。 貿易華やかなだった頃は、灯台の役目をしていて、平戸港に出入りする船の航海の安全を図り、またオランダの三色旗(国旗)も立てられていました。 このことは、1669年(寛文9)に発刊されたオランダ人宣教師モンタヌスの「東印度会社遺日使節紀行」に掲載の平戸商館図に鮮明に描かれています。 1989年(平成元)日蘭修好380周年記念事業の一環として、高台に常夜灯が設置され、今でも淡い火影が夜の平戸瀬戸の波間にゆらいでいます。
オランダ井戸
石枠を組み合わせて造られています。
この井戸は、オランダ商館跡付近に大小ふたつの石枠を組み合わせて造られていて大きな井戸枠は厚さ15センチ、高さ60センチ余の板石で、長さ150センチ余の正角、小さい方は高さが少し低くなっています。この2つは中でつながっていて、大きな井戸は屋外からの水汲み用、小さな井戸は商館の屋内から調理等に用いたものだと言い伝えられています。
オランダ塀
オランダ商館と町屋を区分ける塀
オランダ商館と町屋を区分ける400年近く残る塀で、部厚な砂石を平積みして、その上に貝殻と石炭を混ぜて作った漆喰のようなものを塗っています。 高さは2m、長さ30m程度。 1618年(元和4)に築造され、商館本館のほか、火薬庫、倉庫、病室等の目隠しとして作られました。黒ずんだ塀に、蔦かずらが這う様は長年の月日を感じさせます。
松浦資料博物館
鶴が峰邸
1893年(明治26)に松浦氏の邸宅として建てられたもので、鶴が峰邸と呼ばれていました。1955年(昭和30)歴史博物館として開館され、以来多くの観光客がここを訪れています。松浦家は鎌倉時代の初期、この地に落ち着いて以来、幕末に至るまで650年余り転封等がなかったため、博物館には貴重な遺産が豊富に残されています。
大ソテツ
樹齢数百年といわれる
樹齢数百年といわれるており、川崎屋全盛時代に植えられたものといわれています。オランダ、イギリスとの貿易華やかな頃、延命町(今の浦の町)は、半田五右衛門、川崎屋助右衛門、伊藤謀等の貿易商が軒を並べて、平戸一番の賑わいを見せていた場所でした。浦の町裏通り天満宮登り口に、大きく枝を四方に伸ばしています。
六角井戸
県史跡 平戸の六角井戸
鯨組井元氏が寛文7年(1667)に真教寺創建時に寺付きの井戸として掘られたものです。
ザビエル教会
カトリック平戸教会
平戸を代表する観光名所の教会です。宗教施設の為、見学の際は入口の教会マナーを一読の上、祈りの気持ちをもって見学しましょう。1913年(大正2)に「カトリック平戸教会」として今の愛の園保育園の所に建ち、1931年(昭和6)に現在地に建設されました。1971年(昭和46)に1550年のザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになりましたが、近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めました。
寺院と教会の見える場所
西洋と日本の文化を感じさせる
平戸を代表するザビエル記念教会と光明寺、瑞雲寺が交差して見える場所です。平戸港を一望する勝尾岳では寺院の屋根瓦、カトリック教会の尖鋭な屋根と十字架、それらがひとつの風景となり、西洋と日本の文化を感じさせる平戸を代表する景観のひとつとなっています。